スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

時代は変化する。世代交代しなければ


木坂健宣さんからのメルマガを転載します。

1と2を反対に2からにします。私は2のほうにシビれた。
もう、年寄りは引っ込んだほうが良い。
50才以上は責任ある役職をみんな若い人に譲るべきです。

老害が国を世界を潰したのだから、年寄りの出る幕は殆ど無い!


以下転載


2.暑さとイタリアと節電と。


暑くなってきたら、節電である。

もちろん、今年唐突に現れたような現象ではあるけれど。

ただ、節電それ自体は問題の本質ではないということを、
多くの人が忘れている(そもそも知らない)のではないか。

節電のニーズは当然電力不足の不安からきているわけだが、
電力不足の不安は原発事故からきている。

9.11が高校生の頃起こり、それ以来僕は立場としては
原発反対になった。

なぜ9.11がきっかけかと言えば、あんなことができるんだったら、
小型の飛行機で原発に突っ込めるじゃないか、とか、日本は特に
海沿いに原発を造るから、遠く海の上から小型のミサイルでも
撃ち込まれたら簡単じゃないか、とか、考えたからだ。

誰も攻めてこなくたって、地震で自滅する可能性も高い。

直接的に放射能云々というより、単純な安全保障上の問題点が
多すぎると感じたのがきっかけである。

んで、いわゆる反原発派になってちょっと周りを見渡して、
その他の反原発派のバカさ加減にげんなりして原発の政治的な側面からは
しばし遠ざかっていたけれど、最近また反原発派のバカさ加減が
全く変わっていないことに気づき、この調子なら日本から原発が
消えることなどないんじゃないかとますますげんなりした
夏の夕暮れに黄昏たのも1回や2回ではない。

どうして20年以上も前に終わったはずの化石的な論争を
今また繰り返す必要があるのか。

僕は原発反対派として、声を大にして言いたいのだが、今原発を
廃止しろとか叫んでいる人の99%以上は、頼むから、
原発をなくすために、沈黙してほしい。

沈黙するほど精神が成熟していないなら、せめて小声でつぶやく程度に
してほしい。

君たちが叫べば叫ぶほど、反原発はバカの集まりとして相手に
されなくなっちゃうのだよ、世界的に。

それが、日本にこれだけ原発が建設された理由の一つなのだから。

もうああいう残念な光景は個人的に見たくない。

「まあまあ、彼らはどうせあと2~3ヶ月もしたらすっかり忘れて
勝手に黙りますよ、クーラーだってガンガンつけますよ」

という声も頭の中で聞こえなくはないが、そうなったときには、
結局原発が動こうが止まろうがどうでもいいという状態に国民が
なってしまったということであって、またまともな議論ができずに
エネルギー政策が一人歩くことになる。

僕は、電力の問題がこれだけニュースになったことは、
はじめ、不幸中の幸いだと思った。

否応なく国民の関心がエネルギーに向き、ある程度まともな
議論が交わされ、包括的なエネルギー政策が組み上げられる
よい機会だと感じたからだ。

でも、まともな議論とか、もう諦めた方がいいのだろうか。

それこそ日本ではファンタジーなのだろうか。

ファンタジーと言えば、今も昔も、反原発というのは左翼の
最後の砦と化しているけれど、左翼というのは、「地上の楽園」などと
真顔で言っちゃう人たちだから、基本的に頭の中にお花畑が咲いていて、
その桃源郷をいつも追い求めている。

ただ、昔の左翼は、と言ってももちろん僕はその時代を生きておらず、
本で読んだり、大学でその残党の人たちと話したりした程度だが、
間違いなく賢かったと感じる。

よく勉強していた。

岩波文庫全てを読んでいないだけで相手にされない一派もあったと聞く。

しかし今の左翼は、お花畑で休憩しすぎてただのバカになっている。

そろそろ花見は終わりにしたらどうだろうか。

僕も根本的には左翼的だと思うけど、あまりにも同じ人間に
見られたくないから、そういうことはこれからも内緒にしておこう。


そう言えばイタリアつながり。

国民投票で原発をどうするかを決めようとしたイタリアは、やはりバカと
言わざるを得ない。

バカな国民が投票すれば、その時の気分が反映されるに決まっている。

自民が嫌だから何となく民主、の日本と同じことだ。

多分日本でも国民投票をすれば、限りなく出来レースのような
結果になるだろう。

日本人は特に、「空気」に逆らうことができないからその傾向は
顕著に現れるはずだ。

にも関わらず、「イタリアはよくやった」とか、日本でも
ちらほら「国民投票で決めるべき」などという意見が
出ているのにはビックリしてしまう。

自分たちの大衆性にすら気がつかないほど大衆化しているのだろうか。

政治に関してはある意味それしか方法がないからそれでもいい。

しかしエネルギーは政治ではない(政治的な側面は多分にあるが)。

つまり、どうやって決めてもいいわけだ。

だったら、バイアスがかかりまくってどう考えたって「非合理的な」
結論を導くことがわかっている「国民投票」などでお茶を濁すのは、
何の解決にもならないと考えるのが自然ではないか。

そして最もフェアな決め方は何かと考えたとき、結局一番「マシ」なのは、
市場が決めることではないかという結論に、僕は至る。

例えば50円のガリガリ君と、100円のガリガリ君があったとする。

どちらも同じものだ。

さて、3年後、どちらが残っているか。

もちろん50円の方だろう。

これが市場原理の基本であり、誰の目にもわかりやすい。

ある種の経済学が前提としている完全合理性や完全情報という概念は
全くのファンタジーだが、しかし大衆を「マス」として扱う場合、
案外市場に投げた方が「客観的な」結論が導かれるものである。

その人の真意は、発言ではなく行動に表れるとはよく言ったもので、
「聞く」のではなく「やらせる」ことがより真実に近いものを表すわけだ。

気温38度でクーラーをつけない反原発派と、ちょっとくらい
いいよねと言ってクーラーをつける反原発派のどちらが多いか、
ということを考えてみれば、いろいろ見えてくるのではないだろうか。

もちろん市場に投げると細かい希望や要望は捨象されることになるが、
小学校のホームルームじゃあるまいし、

「はい、みなさん、原子力賛成ですか、反対ですか」

と直接聞いたら、イタリアのような地震もあるし火山もあるような国では、
今の風潮ではそりゃあ反対になるに決まっている。

そんな国民投票は、ただの時間と税金の無駄だろう。

15年くらい前、ベルルスコーニが前面に出てきたときは、
原発推進を大々的に掲げ、みんな停電に懲りてもっぱらそれを含めて
支持したのである。

たった15年前のことをまるで何もなかったかのようにきれいさっぱり
忘れてしまうのが、大衆だということだ。

前述の通り僕は知る人ぞ知るイタリアファンで、歴史も文化も人も
みんな大が付くほど好きだが、こんなことをやっているから、
世界からバカな国だと嘲笑される。

あの国の首相も相当酷いが、それはやはり日本と同じく、国民のレベルを
よく表していると言えるだろう。


その頃我が日本では、どうやらメガソーラーなる計画が持ち上がり、
その提唱者はヒーローとなっているらしい。

事の正しさはともかく、でかい企業のカリスマ経営者が、
補助金前提でメガソーラー等ということを言い出したらそれはもう
ビジネスとして終わっていて、一代であれだけ築いたビジネスマンであるなら、
市場に聞くという、市場の判断にゆだねるという気概をとことん
見せてほしいと個人的には思う。

それが彼ほどの起業家に課せられた最初にして最後の責任であり、
何より彼の背中を見て起業する若い世代へのメッセージになる。

メガソーラー大いに結構、しかしやるなら自腹を切って、
イノベーションを起こすべく厳しい自由競争という枠組みの中で
やるべきで、20年間全量買い上げろというのは、あまりにも
残念な発想ではないだろうか。

まさか、いまだに時価総額至上主義的な虚業経営をやっている
わけでもあるまい(皮肉&希望)。

たとえば40円で作ったものを「絶対に」「すべて」「20年間」
42円で買い上げてくれるとしたら、誰でも参入したいだろう。

それが社会的にどういう価値と意味を持ち、どういう貢献ができ、
どう評価されるのかなど一切関係なく、作れば作るほど自動的に
儲かるのだから。

が、これはもはやビジネスと呼べるのか。

そこに市場は必要なのか。

そういう現実を見て若い世代は何を感じるのか。

買い上げる費用は僕らの電気代から出す、足りない分は政府が
税金で出す、で、儲かるのは40円で作った会社だけ、僕らの
メリットは、「?」。

これがビジネスなら、世の中でビジネスにならないものを教えてほしい。

もし本当に20年も買い上げて補助金出して、なんてことになれば、
原発や農業以上に利権の温床になり、20年後にはどこから
手をつけていいかわからなくなることくらい、文字が読めるくらいに
教育を受けた人には直ちに理解できるだろう。

これを読んだだけで、一体どれだけの巨大利権が新しく作られるか、
感覚的に理解できない人がこの動きを無批判に称賛しているのかも
しれないが、ほんの少しだけでいいから、勉強してほしい。

もちろん、こういうことをとりあえずぶちあげておいて、
国民の意識をエネルギー政策に向けたり、実はある種の自由化された
市場創出を考えていたり、その他諸々の問題に世間の関心を向けたり
することが目的なのであれば、なかなかの策士なのだが、
さて実際はどうなのだろうか。

彼は、頭のいい人だと思うんだけどなあ。



※今回少し言及した「空気」に関する基本文献としては、
山本七平『「空気」の研究』とルースベネディクト
『菊と刀』が、もはや古典と言ってもいいでしょう、
初学者に典型的に読まれるものだと思います。

社会学や政治学で言うウェーバーみたいなもんです
(それはさすがに言い過ぎか)。

ただウェーバーなんかよりはるかに読みやすくまた
主張もシンプルで、特に山本氏の著作は、耳が痛い個所が
たくさんあると思います。

興味がある人はどうぞ。


次に1を転載します

これも含蓄のある話しなのですが、2ほどのインパクトが・・・


以下転載


こんばんは、木坂です。

前回のメルマガは原発関連でしたので、少なからずの方が
役に立ったというメールを送ってくれました。

そう言っていただけると書いている方としても大変励みに
なります。

また、それとは関係なく、最近

「木坂は怪しい宗教に走っている」

というあらぬ陰口(褒め言葉?)を叩かれているという噂を耳にし、
少しだけ驚くわけですが、まあ確かに、

「スピリチュアルセミナー開催=怪しい宗教に走った」

というお昼のワイドショーもびっくりな単純さでしか物事を
理解できない人にとって、わかりやすいコンテンツは最近
なかったかもしれないな、と思う面はあり。

フォレスト出版しか読まない人にとって、
哲学と宗教とカルトは全て同じように見えるでしょうし。

そこで、まあさすがに上記のレベルの人に有益な記事は僕の力量では
書けないと思いますが、以前のようにひとつの記事ががっつり重い、
というスタイルから離れて、ちょっと徒然な感じのメルマガを
試験的に書いてみたいと思います。

これなら書くのに(以前ほどは)時間もかからないし。

内容に手抜きはしないですが(=勉強になるようには
書きますが)、形式的な意味ではだいぶとっつきやすい
はずですので、いつもより気軽に読んでみてください。

で、何か思うところあれば、返事を送ってくださいませ。

ではでは、参りましょう。

あ、それから、こういうスタイルの時はある程度
勢いが欲しいので、基本的に「である調」で書きます。

推敲も、入念にするとこのスタイルの意味がなくなるので、
最低限にとどめます。

日本語の不備などは、大目に見てくださいませ。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

目次

1.暑さとイタリアとビジネスと。

2.暑さとイタリアと節電と。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

1.暑さとイタリアとビジネスと。


暑くなってきたら、スーツである。

と言っても、さすがに夏だからこそスーツが着たいなどという
我慢大会の話ではない。

夏が来ると、来るべき秋冬に備えてスーツを誂える気持ちが高まる、
という意味だ。

幸か不幸か、日々の気配りと努力により、僕の身体をきちんと
覆ってくれる既製服は、ここ日本ではほとんど買えなくなってしまった。

結果、最低限スーツやシャツはオーダーになるわけだが、
オーダーだから数ヶ月はかかる。

となると、夏のクソ暑い時にオーダーしないと、
着たいときに間に合わない。

だから、気温が30度を超えてくると、スーツなのだ。


ところでスーツのオーダー自体はかれこれ7年目になるが、
イタリア人の職人に作ってもらうようになってからは、
まだ3年程度しかたっていない。

イタリア人初体験は六本木にあるKitonという
お店であった。

角刈りでいかめしい顔をした60代半ばくらいのイタリア人と、
少し禿げあがっている30代半ばくらいのイタリア人がその店にいた
(後でわかったのだが、30代半ばだと思っていたそのイタリア人は、
実は僕の2個上くらいで、当時27歳か28歳だった)。

60代の方がKitonナンバーワンサルト(職人)、
30代(実は20代)の方がKiton社のマーケティングの
責任者だと紹介された。

名前は、偶然にも両方「パオロ」で、まあ珍しい名前ではない。

別にスーツを頼もうと思って入ったわけではなく、何の気なしに
入ったのだが、妙に禿げてるのに若い方のパオロと気が合い、
2着ほど頼むことにした。

一着は僕が生地を選び、もう一着はパオロが選んだ。


「パオロのセレクトは、世界中にファンがいて、彼が選んだ生地でしか
作らない方もいらっしゃるんですよ」


そうスタッフがこっそり教えてくれた。

パオロがどんな生地を選ぶのか楽しみにしていたが、
自信満々に選んできた生地を見て正直ぶったまげた。

自分では絶対に選ばない色柄だったし、そもそも日本では
見たこともないような色柄で、イタリア人には似合うんだろうけど、
コテコテの純ジャパ顔に醤油を垂らしたような顔である僕に似合うとは
とても思えなかった。

日本人スタッフも

「さすがイタリア人の感性ですねぇー」

を連呼し、フォローのつもりなんだろうが不安に拍車をかける。

「いやー、これは、いやー」

と何ともコメントしようがなく無意味な発声を繰り返すばかりの僕に、
パオロは、僕が人生で見たこともないドヤ顔で自分が持ってきた生地を
指さしながらこう言った。


「お前に一番似合うのは、これだ」


と。

うわー、すげー、その自信。

そしてこう付け加えた。


「この生地で作ってみて、気に入らなかったら、Kitonでは
お前が気にいる服を作れないと判断してくれて構わない。」


おおおぅ。。。

この殺し文句。

さすがKitonのオーナーがほれ込んで引き抜いてマーケティングの
責任者にしただけある。

ま、時に自分の価値観を壊すことも必要だよね、うん。

同時にショッキングピンクのアリゲーターのベルトを俄然勧められたが、
こっちは半ば本能的に聞こえなかったことにした。


彼が選んだその生地で作ったジャケットは、1回か2回セミナーで
着たので、見たことある人は見たことあるはずだが、それはともかく、
彼と話している中で、ビジネスの基本を確認させてもらったことが、
当時の僕には棚ぼた的に大変貴重な体験となった。

「やっぱビジネスの原則って、万国共通なんだな」

と。

「この生地で作ってみて、気に入らなかったら、Kitonでは
お前が気にいる服を作れないと判断してくれて構わない。」

発言もそうだし、僕が冗談で

「ビキューナの生地(スーツを作ると、大体当時の価格で
1着500万円くらい)を見せてほしい」

と言ったら、一応笑顔で持っては来るんだけど、
注文を受けてくれない。


「お前にはもっと似合う生地があるのだから、そっちで作るべきだ。
それで気にいったら、ビキューナでも何でも作ればいい。」


の1点張りなのである。

ちなみに2着以上の注文も受けてくれなかった。

「気にいったことを確認してからでも遅くはない」

という理由で。

そして採寸している時に、角刈りパオロの方が、どんなスタイルが
好みなんだと聞いてきた。

その当時僕はトムフォードが好きで、彼が作るようなデザインの
スーツがいいと恥ずかしげもなくKitonナンバーワンサルトに対して
伝えた。

彼は眉一つ動かさず、何かをメモした。

そこへ横やりをぶち込んできたのがドヤ顔パオロで、
彼は


「スーツはKitonが世界一だ。トムフォードのスタイルが好きなのはいいが、
トムフォードのスーツは今日限り忘れるんだ。あんなのはただの工業製品だ。」


と一蹴。

片言の英語でKiton is No.1を連呼している。

肌で感じたのだが、これはセールスではなく、
すさまじいまでの、愛である。

しかし感心したのはその続きで、彼は


「ただ、フレグランスとサングラス、そしてバッグはトムフォードが
No.1だ。Kitonのものを買う必要はない。」


と、10万円の値札が付いたサングラスをこちらに見せながら、
断言したのだった。

僕はその時偶然トムフォードのサングラスをかけていたのだが、

「そのサングラスの方が、これよりお前には似合う」

と、ニヤリと笑いながら付け加えることを、彼は忘れなかった。

よいものはよい。

よくないものはよくない。

多分、彼にとっては、9割以上そういう素直な気持ちが
頭の中を占めているのだろうと今でも思う。

だから、世界中で大金を用意して彼を待っている顧客がいる。


それから3年、Kitonで何着オーダーしたのかはよくわからないが、
最近はもっとダイレクトにイタリアの職人にオーダーすることの方が
多くなった。

別にKitonに何か不満があるわけではないが、好みの変化としか
言いようがない。

今オーダーしているイタリア人は、ナポリでも間違いなく5本の指に入る
職人だが、日本をメインの市場として活動している、珍しい人物だ。

僕は彼に聞いたことがある。


「なぜ、日本なのか。アメリカや中国や中東の方が、異常なほどの
金持ちがいて、ビジネスがやりやすいのではないか」


と。

彼の答えは明快だった。


「アメリカ人と中国人は嫌い。アラブの富豪は、無茶苦茶な注文をしてきて、
その瞬間の売り上げは大きいが、他のクライアントを全て断らないと
いけなくなってしまう。しかし翌年その富豪が注文をしてくれなかったら、
その年は売り上げがゼロになる。そんなリスキーなことはできない。」


何のことはない発言に見えるかもしれないが、ここにも
ビジネスの大原則が隠されている。

まず、好き嫌いで一番最初の段階を判断する。

これは出来そうでほとんどの人はできない。

「賢い」人ほどできない。

「賢い」人ほど、損得や利害といったよく言えば合理的、
悪く言えばセコイ発想でしか人や物事を見れないため、
結果としてものすごい小物臭が漂い、喉から手が出るほど
渇望している「成功」が実に快適なスピードで遠ざかって
いくことになる。

これを「ビジネス書オタクのパラドクス」と名付けても
いいのだけど、なんだか少し哀れでもあるからあまり声を
大にして言うのはやめておこう。

さて次の原則だが、目先の金銭にとらわれない、ということがあり、
そしてリスクヘッジという感覚がきちんとある。

収入源がアラブの富豪1本になってしまうと、そこが
ストップした時に、もうどうしようもなくなってしまう。

1回で100着頼む人より、毎年10着ずつ頼む人の方が、
はるかに大切だということだ。

僕が会った範囲に限られるが、イタリア人で成功している人というのは、
「好き嫌い」とビジネスの安定性、言い換えれば感性とロゴスのバランス、
主観と客観の共存具合が、非常にいい感じになっている。

もちろんこの特徴はイタリア人に限らないのだが、ただイタリア人は、
ああいう性格のためか、非常にわかりやすくこのバランスが見える。

パトスばかりでもダメだし、ロゴスばかりでもダメ。

少し勉強した人ならどこかで耳にしたことがあると思うが、
イタリア人を見ていると、それが「実感」として、とても
腑に落ちる。


ちなみに彼は年に4回ほど、期間を決めて来日し、注文を取る。

3月11日の大震災の時、彼は日本で仕事をしていた。

翌日もしていた。

しかしその後、あまりにもイタリアの家族が心配するということで、
さすがに帰国することになる。

が、まだ外国人は日本を逃げ、帰ってくる気配もない4月の半ばには
3月の分ということで再来日し、仕事を全うしていった。

彼の家はヴェスビオ火山のふもとにあり、いつ噴火してもおかしくない
状況で毎日を生きているからかもしれないし、日本がメインの市場だから
頑張って来たのかもしれないし、10年来の付き合いがある日本に
愛着を感じているから来たのかもしれないが、いずれにせよ、
世の中にはこういう“ガイジン”もいるんだなと、少し愉しくなった。

しょーもない“ナイジン”よりよっぽど愉快である。

ちなみに、その4月の受注額は、こんな大変な時期にもかかわらず、
過去最高のものとなったようだ。

その理由はここまで文章を読んでくれれば明確なのだが、
この徒然な文章からどれだけビジネスの原則を抽出し確認し
応用できるかは、その人の経験値によるだろうし、要は、
ビジネスセンスがない人には多分それがわからない。

平素より正しいことをしていれば、大変な時にこそ、運が巡ってくる。

大変な時に大変になるのは、単なる因果応報である。

イタリア人からは、ライフスタイルや考え方、そしてビジネスまで、
学べることが案外多い。

僕がイタリアに何年も惹かれている理由の一つかもしれない。





スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

プロフィール

かづ23

Author:かづ23
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
ブロとも一覧

タマちゃんの暇つぶし

心・身・真アンチエイジング~自分の身体に耳を澄まして

父さんの倒産日記

知っとうや?

幸せに楽しむ「Happy Life」

過去ログ倉庫:黄金の金玉を知らないか?

みんなの早期リタイア独立宣言書

やっぱり、毎日がけっぷち

 未来に向かって Go! Go!

シドニーおちんの、これが今の精いっぱい
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。